堂村宮谷村
【どうむらみやだにむら】

旧国名:越前
(近世)江戸期~明治初年の村名。越前国南条郡のうち。日野川右岸,千石谷山の西に連なる山王山西麓に位置する。当地は妙泰寺・鵜甘神社の旧地にあたり,両社周辺にそれぞれ集落が形成されたことが村名由来と伝える。社家36軒・神子8人・宮仕え6人が参道両側に軒を連ねていたともいう(南越温故集/南条町誌)。天正18年の府中知行目録に「宮谷村・同堂村」と見え,慶長3年の府中高目録では「堂村宮谷村」とある。はじめ福井藩領,貞享3年幕府領,明和元年から三河西尾藩領となる。「正保郷帳」では「堂村宮谷村」と見え,村高は田方264石余・畑方60石余の計325石余。「元禄郷帳」「天保郷帳」では堂村と宮谷村に分けて記され,堂村の高は「元禄郷帳」184石余,「天保郷帳」123石余,宮谷村の高は「元禄郷帳」140石余,「天保郷帳」90石余。しかし両村は合わせて一村として機能し,村役人も堂村宮谷村として置かれ,享保3年ほかの鵜甘神社諸役免許願状には「堂村宮谷村 長百姓・庄屋」の記載が見られる。鵜甘神社は白鳳2年近江坂本山王権現に倣って上中下21社を勧請したのが創始としている(鵜甘神社記)。江戸期には杣山日吉山王社と称し,杣山13か村の総社であった。「正安四年 従一位兼基女寄附 左衛門尉光盛作」の記銘を持つ能面を所蔵。この面は,王の面としては現在わが国最古のものとされ,県文化財となっている。また瓜生保(南北朝期,南朝方に属し杣山荘の地頭職を預かった武将)寄付の狛犬・刀なども所蔵している。明治初年堂宮村と改称。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7093913 |





