鳥羽野
【とばの】

鯖江市水落(みずおち)付近から福井市上江尻付近までの鯖江台地の北半部を指す。砂礫台地で,以前は「絵図記」に「鳥羽野大池あり,御樹木畠あり」と記し,「名蹟考」に「今の往還筋昔は大なる萱原狐兎の栖にして街道は東の方下河端辺にありし云々」とあり,疎林に茅の生い茂る荒れ地であった。そのため,街道は鳥羽野を避けて糺(ただす)・米岡(よねおか)を経て江尻へ通じていた。慶長6年入部した結城秀康は本多富正・渡辺長久らに命じて開拓を始め,2代藩主忠直のとき本格化した。特に,元和4年に鳥羽野を南北に通ずる北陸道を改修し,宅地および耕地を街道沿いに無償供与して移住を勧め,さらに諸役免除・商売構い無しの保護を行った(名蹟考)。また,本多・渡辺の両氏もこの地に屋敷を構えた。その後,次第に集落が発達し,田所・岡野・鳥羽中・野尻の各集落は街道沿いに移住した。鳥羽野開拓を行った渡辺氏の屋敷跡は,旧北陸道東側の字御館・堀端にあたる。明治9年の地籍図には東西約55m,南北約60mの堀と土居がめぐっている。なお,この屋敷跡は,朝倉氏時代の魚住備後守景固の屋敷跡かともいう(城蹟考)。明治30年鯖江36連隊が設置され原野の開墾はさらに進んだ。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7093967 |