帯金
【おびかね】

旧国名:甲斐
富士川中流左岸に位置する。東部山地から西の富士川へ流下する4つの渓流が形成する扇状地に,南北に細長く集落が立地する。東河内領6組の1つ帯金組(13か村)の中心であり,中世は,甲斐源氏の加賀美氏流の帯金氏が居住し,戦国期には穴山氏の有力被官として活躍。地内には地頭帯金刑部亮信継の居館址があり,上小路・下小路の町並みも京に擬したものという。地名について「国志」では金鉱があったことに由来するとしているが,金坑の跡は見えない。同じ毛無山系東部にある武田氏時代の湯之奥金山(下部(しもべ)町)に付会した解釈と考えられる。「国志」に「河内領ニハヲカシキ村名多シ,或人ノ歌ニ,おふ(飯富)ときは(常葉)帯かね(帯金)解いてはだかしま(波高島)人のいぬま(伊沼)にちよとあひまた(相又)」とある。室町期の東林庵跡がある。
【帯金村(近世)】 江戸期~明治7年の村名。
【帯金(近代)】 明治後期・大正期~現在の大字名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7096390 |





