小菅村
【こすげむら】

旧国名:甲斐
多摩川支流小菅川・白沢川流域および桂川支流鶴川上流域の山間部に位置する。鎌倉期の「夫木抄」6帖に「甲斐の国鶴の郡の板野なる,しら玉こすげ笠に縫らん」とあり,また室町期の宗祇の歌に「はるはると甲斐の高根はみえかくれ板野の小菅すえなひくなり」とあり,古くから小菅笠の産地と伝えられ,地名もこれに由来するという。当村は,近世以前は丹波山(たばやま)村と同じ1郷であった。この広い地は10世紀には,征茂(せも)郷に含まれていた可能性があり,中世では丹波山郷と称されていた例がある(国志)。地内長作には,鎌倉期の建築法と伝える観音堂付厨子があり,地内川久保の矢弓神社の背後の山には文明年間の丹波・小菅領主小菅遠江守信景の城址・館址(小菅城址)があり,また彼の墓は宝生寺にある。将門伝説や武田伝説が数多く伝えられる。なお,元亀元年と推定される4月11日の山県昌景書状写に「西原・小菅・小俣・飛経」と見えるが,地名か人名かは判断しがたい(荻原七郎兵衛所蔵文書/甲州古文書3)。縄文時代の山の神遺跡・沢辺遺跡・南遺跡・井狩遺跡・余沢遺跡・板東遺跡・栗山遺跡・御堂街道遺跡,縄文時代・奈良期の山沢遺跡,古墳時代の大丹波峠古墳,奈良期の吉野遺跡,縄文時代・古墳時代・飛鳥期・奈良期の大平遺跡がある。
【小菅村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【小菅村(近代)】 明治22年~現在の北都留郡の自治体名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7096965 |





