忍草
【しぼくさ】

旧国名:甲斐
文禄年間の郷村帳は渋草と書いたという(国志)。富士山北東麓に位置する。高座山・杓子山の南麓,南にひらけた平地を貫流する新名庄川の流域にあたる。地内に大臼・小臼と呼ばれる噴火口跡がある。植物としては浅間神社のイチイの群生,渡辺氏宅のツルマサキの巨樹があり,ともに県天然記念物。近年,縄文・弥生時代および平安中期頃の遺跡が15か所も発見され,井草式・茅山式・堀之内式土器が多数出土した。昭和54年段階では,縄文時代の六本松遺跡・小臼遺跡・大臼遺跡・法印塚遺跡・出口遺跡,縄文・弥生・古墳時代の奥山尾田遺跡,古墳時代の高木遺跡が確認されている。地内の各所に富士の伏流水が湧出して池をなし,その主な池8か所を称して八海と呼び,往古から「富士のみたらし」といわれて尊ばれた。1番を出口池,2番をお釜池,3番を底抜池,4番を銚子池,5番を湧池,6番を濁池,7番を鏡池,8番を菖蒲池と呼ぶ。これら池に対する伝説と信仰は古い時代からあったが,江戸後期信仰が衰えたので天保14年八海に八大竜王を祀り碑をたてた。現在はその碑が出口池ほかに4基残っている。
【忍草村(近世)】 江戸期~明治8年の村名。
【忍草(近代)】 明治後期・大正期~現在の忍野村の大字名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7097188 |





