100辞書・辞典一括検索

JLogos

55

下横沢町
【しもよこざわまち】


旧国名:甲斐

(近世)江戸期の町名。甲府城下上府中(古府中)26町の1町。武田氏の時代に造営された町の1つで,甲府築城にともない新城下に組み込まれた。町人地。甲府城の西ノ郭内に位置する。北は上横沢町,南は相川町に接する南北通りで,東側87間・西側86間(国志)。また東は甲府城の二ノ濠,西は相川堤に接する。町名の由来は,相川の氾濫が繰り返されて自然の沢となったことにちなみ,上横沢に対する。町人足役を勤める大助32町の1つで,年間の人足出役基準は6人。戸口は,寛文年間74人(甲府御用留/甲府略志),貞享4年25戸(上下府中間別/同前),享保5年115人(上下町中人数改帳/甲州文庫史料2),宝暦12年108人(甲府町中人別改帳/同前),文化初年24戸・71人,うち男31・女40(国志)。寺院は西側に日蓮宗身延山林蔵坊末法沢山妙本寺と臨済宗和田村法泉寺末南保山久昌院,東側に曹洞宗恵運院末光明山旭栖院がある。妙本寺は黒印寺領500坪,久昌院は黒印寺領888坪で,慶応4年の書上げ(甲斐国社記・寺記)によれば,本堂が自然破壊したため跡地を畑とし,また無住のため法泉寺が兼帯したという。旭栖院は観音霊場として府内巡礼12番の札所であった。天保7年の甲府上下町屋敷数人別改覚(甲州文庫史料2)では下横沢町と合わせ横沢町と見えるので,この頃には横沢町の一部となっていたと思われる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7097278