100辞書・辞典一括検索

JLogos

33

竜王
【りゅうおう】


旧国名:甲斐

古くは西山之郷と称したが,永禄年間に竜王河原宿が同地に設定されると,西山之郷の名は次第に失われた。竜王河原宿は慶長年間の検地時に竜王村と改称したという。甲府盆地の西北部に位置し,西端を釜無川が南流している。北部は茅ケ岳丘陵末端の通称赤坂台地で,中・南部は水田を中心とした平坦地をなす。地名の由来は地内の旧寺慈照寺に竜王水という湧水があるところから起こったといわれるが,あるいは往古釜無川が荒々しく深淵の状態であったため竜王と呼ばれたことにちなむともいう。台地上には両目塚・刑部塚・四ツ石・狐塚・二ツ塚・判家塚・ネコ塚などの小字名が残っており,先住民の存在が確認される。古墳時代の狐塚古墳・両目塚古墳・古塚古墳がある。もとは釜無川の氾濫原で,流れが急な釜無川は大雨が降るたびに大氾濫を繰り返していたが,武田信玄は当地の釜無川沿岸に一大築堤を施して治水対策を行った。信玄は川の水勢を低下させるために水流を高岩にぶつけ,また堤を雁が群れをなしていくさまのようにすることによって水勢を低下させ,かつ水圧に対しても強固なものにするという「雁行形築堤」と呼ばれる独特な工法で堤を築いた。堤は全長2,100m,幅員約70~130mの規模で,工法は現代においても高く評価されている。これが世にいう信玄堤で,築堤したのは天文年間から永禄年間にかけての10数年といわれるが,一説によると天文11年に着工して弘治3年に完成したともいわれる。いずれにしても16世紀中期であることには異論がない。当地はこの信玄堤の完成をまって,永禄3年武田信玄によって竜王河原宿として立村したのである。
竜王村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
竜王村(近代)】 明治22年~昭和31年の中巨摩郡の自治体名。
竜王町(近代)】 昭和31年~現在の中巨摩郡の自治体名。
竜王(近代)】 明治後期・大正期~現在の大字名。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7098766