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赤野田新田村
【あかんたしんでんむら】


旧国名:信濃

(近世)江戸期~明治初年の村名。高井郡のうち。松代藩領。「元禄郷帳」では「保科村枝郷」と肩書きされ,「天保郷帳」では「古者,保科村・赤野田新田村・袖山新田村,三ケ村」として保科村の高に含められているが,藩政関係では一村として取り扱われている。村高は,「元禄郷帳」39石余,「旧高旧領」119石余。天保11年の免相・本新田高付帳(県史近世史料7-1)によれば,本田111石余,免3ツ7分とある。家数・人数は,文化6年284人(朝陽館漫筆),安政3年60軒(領内村々家数留/県史近世史料7-1),慶応4年57軒・266人(家数等改帳)。天保14年の書上によると,慶安元年牛島村から3人の百姓が移佳して古荒所を開発し30石余の起返地を得た。その後保科村からも移住者があり,元禄8年には101石余が高請された。ところが101石の中には保科山入会地分を勝手に耕作して高請地とした分があるというので,宝永2年入会村々の川中島17か村が耕地を潰す事件いわゆる赤野田騒動が起きた。その結果真島村の角之丞と川田村の肝煎の2人は頭取として死刑,保科村山札見と当村の七兵衛は追放になった。角之丞は17歳の若さだったといい,入会村々の主張は認められ,当村の開いた畑32石余は潰された。その後天保13年には当村の入会山の開発をめぐって保科村との争いになり,同村が藩主に駕籠訴する事件となった。その結果当村は開発高請願を取り下げ,保科村は入会山冥加籾を5俵増で納め,さらに冥加金20両を納め,別に金10両と止宿料1両を納めることで落着した(上高井郡誌)。神社は神明社,ほかに観音堂があった。明治初年保科村の一部となる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7098906