穴田
【あなだ】

旧国名:信濃
千曲川下流左岸,米山山塊と奥手山丘陵の間を流れる斑尾川の低岸地に立地。地内の八号堤と稲沢からは縄文時代の遺物が,名立・大谷地からは平安期の土師器が出土した。中世には「加佐郷内新屋」「加佐郷内新居」が見えるが,現在,穴田の永江寄りに「あらい」の地名があり,寛文6年’同13年の検地帳にも見えることから,新屋・新居は同地に比定される。嘉慶2年8月19日の二宮氏泰宛行状によれば,信濃守護代二宮氏泰が料所として「加佐郷内新屋分」を市河頼房に預けており,次いで応永7年6月2日には,頼房は軍功により信濃守護小笠原長秀から「若槻新庄加佐郷内〈新居分門阿跡〉」などの安堵をうけ,さらに施行状・打渡状によって所領を認められている(市河文書/信史7)。
【穴田村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【穴田(近代)】 明治22年~現在の大字名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7099001 |





