海津
【かいづ】

旧国名:信濃
(中世)戦国期に見える地名。埴科(はにしな)郡のうち。永禄元年11月28日の武田晴信書状案によると,これ以前に将軍足利義輝は武田晴信と長尾景虎の和睦を命じ,晴信はこの日これを承諾したが,この中に「長尾御内書頂載,未及御請以前仁,信国海野(津)地放火,是又各存知之義候」と見え,景虎が当地に放火したことを述べている(編年文書/信史12)。その後,永禄3年9月23日信玄が内田監物に海津在城について監物の知行所北大塩住民の普請役を免除している(別本歴代古案/同前補遺上)。永禄9年閏8月3日小山田信茂が当地から岡村へ帰陣している(諏訪文書/同前13)。また天正6年6月12日武田勝頼が当地に着陣している(上杉家文書/同前14)。さらに海津城から長沼に陣を進めている(県立長野図書館所蔵文書/同前14)。海津城主は香坂弾正とされ,長沼城とともに武田氏の川中島四郡支配の一方の拠点であった。天正10年3月9日上杉景勝は岩井信能に「海津北之諸士」が上杉氏に服属したことを賞しているが(歴代古案/同前15),武田氏滅亡ののち,川中島四郡は森長可の所領となり海津城に在城した(当代記・信長公記/同前15)。本能寺の変ののち,同年7月当地には斎藤朝信ら5名が在番していた(歴代古案/同前15)。その後も当地は上杉氏領として推移し,海津城は上杉氏の北信濃支配の拠点となった。江戸期に松代と改称。現在の長野市松代町にあたる。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7099889 |





