上一本木村
【かみいっぽんぎむら】

旧国名:信濃
(近世)江戸期~明治7年の村名。安曇(あずみ)郡のうち。高瀬川の氾濫によって作られた右岸の堆積土上に位置する。元和年間に一本木村が上一本木村と下一本木村とに分村して成立(大町市史)。寛永19年松本領村々高附帳(県史近世史料5-1)に,上一本木村304石余とあるのが初見。松本藩領。松川組に属する。村高は,「元禄郷帳」195石余,「天保郷帳」330石余,「旧高旧領」406石余。慶安3年松川組村々御検地高人別帳(清水家文書)によれば,高226石余,高持百姓19。以来,慶応2年まで21回にわたって新切・畑田成検地が行われ,村高が増加していった。安政2年安曇筑摩両郡村々明細書上帳(県史近世史料5-1)によれば,家数85・人数562。江戸後期,高瀬川から取水する古堰,和田川と一本木堰の開削によって開発が進んだ。鍬ノ峰山麓の仏崎山観音寺(仁科三十三番札所第32番)は,治水と開発の開拓神鎮座の聖地として知られ,岩盤の窟には犀竜の伝説がある。明治4年松本県を経て筑摩県に所属。同7年常盤村の一部となる。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7100054 |





