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下伊那郡
【しもいなぐん】


(近代)明治12年~現在の長野県の郡名。明治12年1月郡区町村編制法により長野県下に行政区として16郡が設置された際,伊那郡の南半32町村・人口9万6,404人は下伊那郡となり,飯田町に郡役所が置かれ,郡長・郡書記が任命された。明治24年4月1日県下に地方自治体としての郡制が施行され,理事機関の郡長,議決機関の郡会・郡参事会が設置され,郡会議員26名が選出された。郡制は大正12年4月1日に廃止され,郡役所も同15年6月30日廃止。以後は県の連合事務所が飯田町に置かれた。郡下の町村数は,江戸末期に飯田城下ほか169か村があったが,明治7~8年に数か村ずつが合併し,32町村に整理された。しかし,これには筑摩県の強力な指導により当時では無理な大規模合併をしたものが多かったため,その後29か村が分離復旧を出願,うち23が認められて同18年までに再び77町村に増加している。明治22年市制町村制施行により再度合併が促進され,郡下は飯田町と山吹・大島・市田・座光寺・上郷(かみさと)・上飯田・鼎・松尾・竜丘・下川路・三穂・伊賀良・山本・清内路(せいないじ)・会地・智里・伍和・下条・大下条・富草・旦開・豊(とよ)・浪合・根羽・神原・平岡・泰阜(やすおか)・千代・竜江・下久堅・上久堅・喬木(たかぎ)・神稲・河野(かわの)・生田・大鹿・上・八重河内(やえごうち)・和田・南和田・木沢の町村となった。このうち豊村は翌23年和合村・売木(うるぎ)村に分離,浪合村は昭和9年浪合村・平谷村に分離,下川路村は昭和2年川路村と改称した。飯田町は昭和4年町制施行した上飯田町と合併協議して同12年市制をしいた。第2次大戦後飯田市は,昭和31年9月松尾・三穂・伊賀良・山本・竜丘・下久堅・座光寺の各村を合併,さらに同36年川路村を編入,同39年3月上久堅・千代・竜江の各村,同59年鼎町(昭和29年町制),平成5年上郷町(昭和45年町制)を合併した。当郡には,現在3町14か村がある。町では,高森町は昭和32年市田・山吹両村が合併,松川町は昭和31年に大島村と上伊那郡上片桐村が合併して成立,同34年生田村も合併,阿南町は昭和32年大下条・旦開・和合の3か村が合併して成立,同34年富草村も合併した。村では,旧来の大鹿・泰阜・喬木・下条・売木・根羽(ねば)・浪合・平谷・上・清内路の各村と,昭和30年生田・神稲両村が合併した豊丘村,同31年会地・智里・伍和の3か村が合併した阿智村,同年平岡・神原両村が合併した天竜村,昭和30年に八重河内村・和田村・南和田村が合併して成立した遠山村と,木沢村が同35年に合併して成立した南信濃村である。




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「角川日本地名大辞典」
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