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曽利遺跡
【そりいせき】


諏訪郡富士見町境字池袋の曽利と滝坂に所在する縄文中期~後期と平安期の集落跡。中期後半の曽利式土器の標式遺跡である。百々川の西岸の八ケ岳南麓に特有な北から南にゆるやかに傾斜する長大な尾根上で,その幅も広く当地における縄文中期の典型的な立地である。標高は875m前後。JR中央本線信濃境駅の南東方約600mに位置する。遺跡の発見は古く,「諏訪史」(大正13年)に土器(厚)と打製石斧・磨製石斧の発見が伝えられている。その後も数多い土器と石器が出土したようである。昭和18年滝坂で発掘が行われ,竪穴住居跡1軒と小竪穴3基を検出した。本格的な調査は,井戸尻遺跡保存会が実施した昭和35年3月(第1次),同36年3月(第2次),また,富士見町教育委員会は井戸尻考古館および諸施設の建設に伴う発掘調査を同44年3・4月(第3次),同47年11月(第4次),同48年3~7月(第5次)に行い,縄文中期の竪穴住居跡69軒,後期の竪穴住居跡1軒,小竪穴,配石跡,敷石跡などを調査し,多大な成果をあげた。中期の住居跡を時期別にみると,九兵衛尾根Ⅰ式期6軒,同Ⅱ式期5軒,狢沢式期1軒,新道式期3軒,藤内Ⅰ式期7軒,同Ⅱ式期5軒,井戸尻Ⅰ式期3軒,同Ⅲ式期2軒,曽利Ⅰ式期10軒,同Ⅱ式期7軒,同Ⅲ式期10軒,同Ⅳ式期6軒,同Ⅴ式期4軒である。さらに時代は下って平安後期の竪穴住居跡3軒も発見されているが,最も繁栄したのは縄文中期である。出土した土器と石器は優品の上に膨大で,特に廃絶以来全く攪乱されることなく,完全な状態で埋没していた4号住居跡から出土した7点の土器は,昭和50年に県宝に指定された。また,5号住居跡から出土したパン状炭化物は,コッペパン状4個と捻り餅状1個の2種があり,復原できたものは3個である。分析の結果,その主成分は解明できなかったが,全国でも初めての発見であり,大きなニュースとなった。その後周辺各地の調査で類例も増加し,中期縄文農耕論に新知見を加えた。発掘調査はその一部が対象となったにすぎず,相当大規模な集落跡が埋没しているものと思われる。出土遺物は井戸尻考古館で保管・展示している。報告書には,「井戸尻 長野県富士見町における中期縄文時代遺跡群の研究」「曽利 第三・四・五次発掘調査報告書」がある。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7101600