戸隠新田村
【とがくししんでんむら】

旧国名:信濃
(近世)江戸期~明治6年の村名。水内(みのち)郡のうち。千曲川西岸の常盤平南部に位置する。小沼村の新田として開発され小沼新田と呼ばれた(堀直寄開墾許可状案),その後正保年間に戸隠新田と改称。小沼新田の開発は,慶長末年頃飯山藩主堀直寄の命により,飯山城下の上町(かんまち)・下町・肴町の肝煎の責任で3か年の鍬下年季を与え開発させたもの。また,寛永年間に開発されたとも伝える。戦国末期戸隠山の住人が移住してきたとの伝承や,天明年間戸隠山宝光社の橇引事件により追放になった衆徒の一部が移り住んだとの伝承がある。はじめ飯山藩領,享保9年からは幕府領。村高は,「正保書上」74石余,慶安3年検地帳(村史ときわ)175石余(約97%は畑高),「元禄郷帳」は,小沼村枝郷として192石余,「天保郷帳」「旧高旧領」はともに小沼村1,686石余のうち。延宝5年の検地では182石余が打出され,貞享4年の年貢割付状では村高405石余に達し田高の割合が半分近くを占めている(村史ときわ)。このような石高の増加,とりわけ田高の増加は温井村の茶屋池を水源として,全長26kmに及ぶ平用水が寛文6年頃に完成したことによる。戸数・人口は,安永6年66・302,寛政3年65・320(村史ときわ)。文化14年以降三ツ屋新田村は当村に属す。明治元年伊那県,同3年中野県,同4年長野県に所属。同6年小沼村の一部となる。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7102054 |





