念仏寺村
【ねんぶつじむら】

旧国名:信濃
(近世)江戸期~明治9年の村名。水内(みのち)郡のうち。虫倉山南斜面裏沢と梅木沢に挟まれたあたりに位置する。地名は時宗の寺名による命名か(信濃国地字略考)。松代藩領。村高は,「慶長打立帳」391石余,「正保書上」「元禄郷帳」ともに468石余,「天保郷帳」519石余,「旧高旧領」では558石余。天保11年の免相3ツ3分(免相本新田高附)。元禄15年の枝村は蔵本・桜出・大崩・冠・上門前・平沢・石原・大内・丸山・相窪・青木平・三ケ野・中内・若神子・沢・母袋の16か村(絵図仕立帳添目録)。安政3年の戸数139(領内村々家数留/県史近世史料7‐1)。文化6年の人口621(封内人員)。堂宮は,元禄10年阿弥陀堂ほか9堂,十二氏神ほか27社と道六神12社があり個人持ちである(堂宮改帳)。山中騒動は天明4年飢饉のため山中26か村の百姓が当村の城の平に集結し一揆を企て,翌年には山中13か村21人中当村の者2名が入牢を申しつけられ,山中25寺院の減刑嘆願により釈放される(中条村誌)。弘化4年善光寺地震では震源地に近いため家数130軒余のうち押埋3・全壊85・半壊30,人口700人余のうち死失30人,臥雲院寺地は一円に抜下り大惨事となった(むしくら日記)。明治4年松代県を経て長野県に所属。同6年には戸数128・人口682。主な作物は大小麦・大小豆・粟・稗・唐黍・蕎麦・皮楮・蚊帳地(癸酉年物産御書上控)。同7年中条学校念仏寺支校を三ケ野に移転。同9年日下野(くさがの)村の一部となる。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7102612 |