野沢
【のざわ】

旧国名:信濃
千曲川上流左岸,野沢平中部の平坦地。古来佐久の中心となった。地名の由来は,野沢平の中を流れる沢すなわち用水や支流の流れる所を示すものであろう。原始時代は川が網の目のように流れていたり池や沼の多い湿地帯であったと考えられ,縄文・弥生土器などの出土は少ない。平安期にはここに野沢氏が住み,野沢太郎は木曽義仲に従って戦死したらしい。中央に伴野氏の館跡がある。鎌倉期小笠原長清の六男時長がこの地の地頭として土着し伴野氏を名乗り栄えたが,弘安8年伴野氏は霜月騒動にまきこまれて衰えた。金台寺は弘安2年時宗の開祖一遍上人の開創で,ここで踊り念仏がはじまっている。
【野沢郷(中世)】 鎌倉期~戦国期に見える郷名。
【野沢村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【野沢村(近代)】 明治22~30年の南佐久郡の自治体名。
【野沢町(近代)】 明治30年~昭和36年の南佐久郡の自治体名。
【野沢(近代)】 明治22年~現在の大字名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7102624 |





