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野辺山高原
【のべやまこうげん】


南佐久郡川上村・南牧(みなみまき)村にまたがる高原。八ケ岳の主峰赤岳の東麓に広がり,東西約10km・南北約9km,標高1,200~1,600m。東側は千曲川に臨んで100~150mの断崖をなす。南は山梨県の清里高原に続く。高原野菜の大産地として著名。古くは野辺山原と呼ばれ,佐久と甲州を結ぶ街道(現国道141号)が通り,冬の難所であった。この原野に,慶長13年板橋,貞享3年矢出原三軒屋の両集落がつくられ,幕府は救助米・扶持米を支給して旅人の保護を命じた。明治期からは軍馬の飼育が盛んとなり,高原東端の市場に毎年馬市が立った。昭和10年,現JR小海線の全通とともに野辺山駅開設。第2次大戦の末期には,野辺山全域が砲兵隊の演習地と予科棟のグライダー練習場となり,3,000haに及ぶ国有地や民有地が強制買収された。終戦とともに,軍関係者の一部が帰農,海外引揚者や戦災者も加わり,約170世帯が入植した。しかし,数年後には入植戸数の70%以上が離農した。昭和23年野辺山開拓農協が結成され,経営規模10haを目標に旧軍用地の開放運動を展開,同28年には農地の交換分合と農家の分散計画を実施し,同32年頃にほぼ基盤整備を終えた。この間,桔梗ケ原にかわる大根・沢庵の大産地となり,また集約酪農地域の指定も受けて酪農の振興が図られた。昭和30年代後半から洋菜の需要増大の下で,全国有数の高原野菜供給地となった。高原の開拓により,表層の約50cmの黒土の下のローム層から,日本最初の先土器時代の細石器が発見された。昭和29年と同38年に発掘調査が行われ,矢出川遺跡として名高い。同38年に高原北端の海ノ口牧場の一部が別荘地となり,国立信州大学の農場となっている旧グライダー練習場には同45年に国立天文台の太陽電波観測所が誘致され,直径45mの電波望遠鏡をはじめ,十数個の巨大なアンテナ群をもつ宇宙電波観測所が同57年に開所した。近くの飯盛山北麓には人工雪スキー場があり,昭和53年に白い教会風駅舎に改築されたJR最高所駅野辺山と県境のJR最高地点(標高1,375m)の両地域とともに,近年若者を対象とした観光地化が進んだ。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
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