荊口
【ばらぐち】

旧国名:信濃
天竜川に注ぐ三峰川支流山室川中流域右岸に位置する。村名の由来は,一説にいばらを切り道を開いたことによるという。山室川谷の細道は古来諏訪・富士見を結ぶ古道で,鎌倉道とも日蓮宗布教の法華道ともいい,仏平,説法した神座岩などがあり,南北朝期南朝の宗良親王が策動した峠道でもあり,御所平などがある。また戦国期には武田氏の高遠(たかとお)攻めの道,軍用道で,天正10年2月織田勢の高遠城攻撃の際,兵糧を固く辞したため,文安元年日学開基の本学山弘妙寺が焼き払われた道でもある。近世には秋葉信仰の秋葉道。入野谷御林物,物資輸送の道である。元久年間頃平家の浪士が堂場を定めた中道山旭泉寺跡。平家浪士開阿弥集験者の堂跡などがあると伝える。
【荊口村(近世)】 江戸期~明治8年の村名。
【荊口村(近代)】 明治14~22年の村名。
【荊口(近代)】 明治22年~現在の大字名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7102777 |





