二石新田村
【ふたついししんでんむら】

旧国名:信濃
(近世)江戸期の村名。水内(みのち)郡のうち。二ツ石新田村とも書く。千曲川下流左岸断崖上に位置し,西北は標高500mの山地に連なる。地名は2つの大石のある小字二ツ石に基づき,初見は「二石免入」とある寛文5年の蟹沢村新田検地帳(区有文書)。寛文5年蟹沢村の立新田として成立。はじめ飯山藩領,享保2年幕府領,同9年からは飯山藩領。村高は,「元禄郷帳」では蟹沢村枝郷と見え114石余。本村(蟹沢村)から18町隔たり,郷蔵と庄屋など三役を置く。川辺村々差出帳(飯山市吉松家文書)によると,享保9年の家数18,馬4。鎮守は諏訪宮・天神宮。用水は上今井堰を利用。「天保郷帳」では蟹沢村675石余のうちに含まれて当村と蟹沢村が古くは一村と記されており,天保年間までに蟹沢村の一部となる。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7103112 |





