保科
【ほしな】

旧国名:信濃
長野盆地の南東部,奇妙山・妙徳山・保基谷岳山麓,保科川と赤野田川流域に位置する。地名の由来は,「穂科の穂は赤き義也,保科・星名等は借字也」といい(信濃地名考),科は河岸段丘を意味することからその地勢によると考えられる。縄文後期の上和田・宮崎遺跡からは土器破片や敷石居跡が発見され,磨製石斧・打製石鏃20点ほどが検出された。長原古墳は7世紀~8世紀と推定され18基が発掘され他にもいくつか古墳群がある。奈良期創建といわれる清水寺がある。
【穂科郷(古代)】 奈良期~平安期に見える郷名。
【保科御厨(中世)】 鎌倉期~南北朝期に見える御厨名。
【保科村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【保科村(近代)】 明治22年~昭和34年の上高井郡の自治体名。
【保科(近代)】 昭和34年~現在の大字名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7103208 |





