松代
【まつしろ】

旧国名:信濃
善光寺平(長野盆地)の南東端に位置し,奇妙山・雨巌(あまかざり)山・皆神山・ノロシ山・象山などが三方を囲み,西部を神田川が流れ西北を流れる千曲川に合流し,北が開けている。地名の由来は,天正10年織田信長の臣森長可が海津城に居城した折に武田方の残党に苦しめられたことから,慶長5年長可の弟忠政が徳川家康に請うて海津城に入った際,復讐の機会を待つために海津城を待城(まつしろ)と改めたといわれ,慶長8年当地を領した松平忠輝が不吉の文学として松平の一字を採って松城と書き改め,元和8年入封した真田氏が正徳元年4月松代と改めたと伝える(県市町村合併誌)。周辺の山麓や谷あいには古墳が散在する。戦国期は村上氏の勢力下にあったが,その没落後は武田氏が永禄3年海津城を築き,北信越攻略の拠点として,また城下町として発展した。
【松代城下(近世)】 江戸期の城下町名。
【松代町(近代)】 明治22年~昭和41年の埴科郡の自治体名。
【松代(近代)】 昭和31~41年の松代町の地区名。
【松代(近代)】 昭和41年~現在の長野市の大字名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7103377 |





