三輪
【みわ】

旧国名:信濃
三和・美和とも書いた。犀川支流裾花川下流の左岸に位置する。地名の由来は,古代に美和氏の住んだ地であることにちなむか。式内社美和神社があり,「三代実録」貞観8年2月7日条に「信濃国水内郡三和・神部両神」に忿怒の心があり,兵疾の災を起こしそうなので,国司・講師に命じて神怒をなだめさせるという記事がある。地内には弥生時代の遺跡があり,また全城にみごとな条里制的地割りがあったが,現在はほとんど市街地化している。「善光寺縁起」に出てくる三輪時丸の墓と伝える塚があり,相之木西組に禅宗時丸寺がある。
【三和条(中世)】 鎌倉期に見える条名。
【三輪村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【三輪村(近代)】 明治22年~大正12年の上水内郡の自治体名。
【三輪(近代)】 ①明治22年~大正12年の古牧村の大字名。
【三輪(近代)】 昭和46年~現在の長野市の町名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7103673 |





