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八重原
【やえはら】


旧国名:信濃

古くは原間と称した。鹿曲(かくま)川と千曲川の間,蓼科(たてしな)山系末端の高台に位置する。地名の由来は,丘陵起伏してあたかも八重の原のような地形による。上・中・下の3集落があり,上には古墳君塚,近くに蹴鞠窪の字があって直刀土器が出土した。中には字姥ガ沢を主として広範囲にわたる東信地方最大の窯跡群がある。下は長瀬氏経営の塩川牧・秣場であったとの説があるが不詳。八幡山からは石器・土器が出土する。地内中央に方1町ほどの塁の跡があり,信玄松と称する古松の株の下に武田信玄を祀る小祠がある。天正13年8月上田攻めで敗退した徳川勢は,後退して千曲川を越え,八重原の合地にしばらく滞在したという(三河物語)。その際兵糧を炊いたかまど跡があり,鍋蓋砦跡がある。
八重原村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
八重原(近代)】 明治22年~現在の北御牧村の大字名。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7103762