柳町
【やなぎまち】

旧国名:信濃
(近世)江戸期~明治9年の町名。上田城下町の一町。城下町の北部,北国脇往還に沿い,木町と紺屋町の間に形成された町人町。蛭沢川の右岸にあたり,かつて川岸に柳の木が多かったことから町名が生まれたという。寛文3年の上田領戸口改(県史近世史料1‐1)で,戸数31,人数は男71・女60・奉公人5の合計136。延宝3年は,本家28・貸家15,人数109,宝永7年は29軒・171人(上田市史)。享保20年頃家並みがそろったといわれるが,やがて商店や旅籠も多くなり,原町に次ぐにぎわいをみせていた。北端,紺屋町との間に茶屋町があり,宝永年間頃まで多かった柳の木の間に葭簀張りの休み茶屋が建てられていた。なお文政2年海野町から,当町が埴科(はにしな)・更級(さらしな)・水内(みのち)・高井4郡から綿荷を引請け,市場にまぎらわしい商売をしているのは違法であるとして訴状が出された。当町では店商いが行われていたが,市場ではなかったことがわかる(上田市史)。明治9年上田市の一部となる。なお現在も通称として用いられている。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7103825 |