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山口村①
【やまぐちむら】


旧国名:信濃

(近世)江戸期~明治9年の村名。水内(みのち)郡のうち。外様平南西端の平野部と千曲川支流皿川以北の山地から成る。戦国期越後上杉氏の家臣岩井弥六郎直信の本拠地と伝えられ,山口城が永正年間岩井直信により築城されたという(県町村誌)。慶安2年の南条村の検地帳には「南条之内山口村」が記され,元禄年間までに南条村から分村して成立したと思われる。飯山藩領。村高は,「正保書上」179石余,慶安2年の検地では田10町余・田高131石余・畑6町余・畑高64石余,「元禄郷帳」179石余でほかに当村枝郷として硫黄新田村8石余・涌井新田村11石余があり,「天保郷帳」で古くは硫黄新田村・涌井新田村と当村の3か村と記され260石余,「旧高旧領」も同高。硫黄・涌井両新田は寛文10年初めて検地をうけており,硫黄新田は高井郡野沢村の柳兵右衛門によって開拓されたと伝える(県町村誌)。正徳元年の村指出帳では,本高196石余・新田高58石余,戸数32うち硫黄新田5・涌井新田7,人口251,馬36(本村25・硫黄新田6・涌井新田5)。弘化4年の善光寺大地震により硫黄新田では山崩れが起こり,10戸余のうち8戸の家屋が倒壊し死者14人の被害にあった。これにより耕地1町5反余・石高にして10石余が埋没したと伝えられる(県町村誌)。この大地震の時に発生した亀裂に,大正12年の関東大震災が重なり翌年の大規模な山崩れを引きおこすこととなった。明治4年飯山県を経て長野県に所属。明治元年~同7年の戸数40・人口239(県市町村合併誌)。同9年旭村の一部となる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7103850