若宮①
【わかみや】

旧国名:信濃
千曲川支流夜間瀬(よませ)川の形成する中野扇状地の扇央に位置する。古くは灰塚と称した。天正7年の下宮春宮に玉垣10間を負担する地として「灰塚分」と見える(信叢2)。下って,天正10年6月28日の上杉景勝知行書立案に「一,一本木・六(灰)塚共ニ」とあり,窪島日向守に安堵している(歴代古案/信史15)。灰塚の地名の由来には,未発地のくぬぎを焼いた所という開発説,護摩をたき,その灰を埋めたという修業地説などがある。若宮の地名は鎮守社にちなむ。灰塚には川原地名が残っており,かつては夜間瀬川の乱流地帯であった。15世紀頃高社山麓を削って現在の流路に移動したので,16世紀半ば頃には開発が盛んになったと思われる。この地域の用水源は古堰で,自然の窪地の旧流路を流れている。鎮守八幡神社は戦国期の領主高梨氏が鎌倉鶴岡八幡宮から勧請したと伝える。永正7年高梨政盛が越後の長尾為景応援のため,出兵に当たりこの八幡宮に戦勝を祈願した。この時屋根から,首のない雀がころげ落ちてきた。家臣がこの出陣は凶相であると恐れたところ,政盛は「敵の首を討ちとるとの吉事である」といって,士気を鼓舞したとの伝承がある。
【若宮村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【若宮(近代)】 明治22年~現在の大字名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7104070 |





