落合
【おちあい】

旧国名:美濃
恵那山(2,190m)の北西向きの傾斜地に立地し,最高地と最低地の比高差が1,780mあり,耕地は棚田となっている。釜沢川・湯舟沢川が合流して落合川となり,木曽川と出合っているところから落合の地名となったという(濃陽志略・濃州徇行記)。木曽義仲を養育した中原兼遠の子,落合五郎兼行が字オガランに居館を構えたとされている字オガランの舌状の台地から,縄文前期の諸磯,北白川両形式の土器が出土し,関西と関東の文化の交流を裏づけている。また,石製模造品,平安期の白瓷系陶器も出土しており,関東への入口として木曽谷・伊奈を控えて重要な位置にあったと考えられる。五輪塔が与坂や森ケ鼻に見られ,向山天神窯址は桃山期の開窯と推定されている。また天正2年木曽義昌が妻籠(つまご)から馬籠(まごめ)峠,十曲峠を結ぶ道の改修を,木曽義在が天正7年に塩尻~落合間の道を改修したといわれ,天正13年には徳川家康が信州伊奈の下条牛千世に落合70貫文の地を知行として与えている。森ケ鼻白山社・与坂八幡両社は天正13年再建,浄土宗中央山高福寺は天文12年開基,浄土宗瑠璃山医王寺は天正13年再興,関(せき)下有知(しもうち)竜泰寺末曹洞宗喜翁山善昌寺は慶長5年開基と伝える(落合郷土誌・中津川市史)。
【落合村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【落合村(近代)】 明治22年~昭和31年の恵那郡の自治体名。
【落合(近代)】 昭和31年~現在の中津川市の大字名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7105123 |





