鏡島湊
【かがしまみなと】

岐阜市中心市街部の西方約5km,長良(ながら)川の左岸にある河港。長良川はこの河港より上流は扇状地,下流は自然堤防・後背湿地をそれぞれ流下するので,この河港の上・下流で川船の大きさや形が異なり,そこにこの河港の有利性があった。岐阜に入城の織田秀信(信長嫡孫)は天正20年,鏡島湊新町の造成を命じ,また旧来からの長良川登せ荷物陸揚げ独占の特権を認め,湊町諸役一切を免除してその繁栄を図っている。この独占権は元和6年加納藩も再確認している。鏡島湊は近世,加納・岐阜の外港としての機能を果たしてきた。もっとも慶安3年の洪水以降ここより上流まで船がよりよくさかのぼれるようになり,鏡島湊の有利性はやや低下した。ここで陸揚げした物資は,馬背によって川筋沿いに忠節を通って上門の木戸から岐阜町に入ったが,これを湊街道または京街道ともいった。加納には中山道を経由した(県史通史編近世下)。明治以降この河港の機能も順次衰え,特に昭和以降の河川大改修により,かつて河港のあった所は河川敷地として大変容をし,往時をしのぶべくもない。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7105207 |