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岐阜
【ぎふ】


旧国名:美濃

地名の由来は,永禄10年に織田信長が稲葉山城を陥落したのち,尾張政秀寺の開山沢彦宗恩の考案による「岐山・岐陽・岐阜」の3つの地名から選んで井口(いのくち)を岐阜と改称したという(安土創業録)。この事実は,「乙津寺蘭叔語録」(濃飛両国通史)天正3年条に所載する5月28日付で信長家臣の鳴海助右衛門に宛てた書状に「仍改井口為岐阜,不亦宜乎」と見え確認されよう。沢彦が選出した地名は,中国の周時代に都を岐山に置き,武王のときにここを本拠にして殷の国を滅亡させ天下を平定したという故事にちなんだものという(安土創業録)。しかし,岐阜の名称はすでに万里集九の漢詩文集「梅花無尽蔵」に「雖退去于岐阜陽」とあり,また瑞竜寺蔵の土岐成頼画像賛(明応8年孟夏)に「金華降神彰人瑞乎竜章,岐阜鍾秀」の語が見えるなど,当時,五山の学僧等が革手府(革手城)を「岐阜」と雅称しており,岐蘇川(木曽川)の陽(きた)に位置することにちなむという。のち,瑞竜寺(応仁元年斎藤妙椿が土岐成頼のために建立)が稲葉山の南に移ってからは,同山を岐阜と称するようになり,さらに斎藤氏が井口に勢力を伸ばしたころには同地をも岐陽と称したようで,永禄4年に崇福寺の快川紹喜が斎藤義竜を「岐陽賢太守」と呼んだことからも明らかである(濃飛両国通史)。先に沢彦が学僧等の間で慣用されていた「岐山・岐陽・岐阜」の名称を中国の故事にちなんで,あえて選出した背景には,同時期に信長が「天下布武」の印章を使用しだしたことと合わせ考えると,当地を拠点にして全国制覇をめざす信長の壮大な意図を読みとることができよう。
岐阜(中世)】 織豊期に見える地名。
岐阜町(近世)】 江戸期~明治22年の町名。
岐阜市(近代)】 明治22年~現在の自治体名。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7105803