下蜂屋
【しもはちや】
旧国名:美濃
美濃加茂盆地の北に連なる蜂屋(はちや)丘陵地と,蜂屋川の沖積地の上にあり,蜂屋四郷の西端に位置する。東組と西組に分かれる。中世は伊瀬(いぜ)を含めて大村郷と呼ばれていた。西北の丘陵地には堂洞(どうぼら)城址がある。永禄8年織田信長は斎藤竜興に従う在地武将岸勘解由左衛門のたてこもる堂洞城を攻め滅ぼした。
【下蜂屋村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【下蜂屋(近代)】 明治22年~現在の大字名。
 | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7106497 |