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熱海温泉郷
【あたみおんせんきょう】


県東部,伊豆半島北東部の熱海市内に位置する伊豆湯河原・伊豆山・熱海・網代温泉の総称名。ホテル・旅館377,療養・保養所323軒余があり,西日本の別府(大分県)と並んで東日本を代表する温泉地。箱根から伊豆東海岸にかけての地域は,第四紀の火山を熱源とする温泉が多く,当温泉郷もその1つである。同市北端の伊豆湯河原温泉(泉元宮上分・泉元宮下分・泉元門川分)は,泉温泉ともいわれ,千歳川を隔てて湯河原温泉(神奈川県)と接している。源泉は,岩戸山北麓に22本(休止11)を数え,大正末~昭和初期と同30年代の源泉が多い。泉温32~92℃の単純泉・弱食塩泉・石膏泉で,リューマチ・神経痛・婦人病・機能回復に効くといわれ,22軒のホテル・旅館がある静かな温泉地。伊豆山温泉(伊豆山)は同市北東部の岩戸山東麓に位置し,日本三大古泉の1つとして知られ,古くは走り湯・滝ノ湯と呼ばれる横穴式噴湯の源泉があり,源泉数は81(未利用6・休止13・埋没1・枯渇1)ある。泉温44~76.5℃の含食塩石膏泉で,リューマチ・神経痛・切傷に効くといわれ,相模灘に臨んで30軒余のホテル・旅館がある。熱海温泉は,同市中央部の初川・和田川流域に位置し,源泉は326(工事中3・未利用40・休止40・埋没2)にのぼり,東部(145)・中部(113)・南部(68)に分けられる。湧出量は伊東温泉についで毎分16.29m(^3)で放熱量は県下最大の毎分986kcal,泉温・泉質は,40.5~98℃の弱食塩泉・含塩化土類弱食塩泉・含石膏弱食塩泉・含食塩石膏泉・含塩化土類石膏食塩泉・単純泉で,リューマチ・神経痛・皮膚病・切傷・火傷・婦人病・痛風に効くといわれ,当温泉郷最大の歓楽街を形成。熱海の,海中に熱湯が湧いたという伝説は,5世紀・8世紀を舞台とし,5世紀末に政争に敗れ,伊豆に流された蚊島穂君の遺体を海に投げ込んだところ,海水が煮えたぎり,魚がことごとく死滅したという。8世紀には,箱根にいた万巻上人が常陸国を旅行中,「箱根の南方海中から熱湯が湧き出て,クジラやカメ,その他の魚介類が死滅している」ということを知って,100か日の祈祷を捧げたところ,海中の熱湯は山上に移ったという。湯前神社にはこの湯引きの神が祀ってある。以来,熱海は霊湯として知られるに至った。江戸期には,家康が2回にわたって入湯しており,3代将軍家光以後は,熱海の湯を桶につめて江戸へ運ばせたという。これは,お汲み湯といって,湯戸という指定旅館27軒が,毎年季節を定めて檜桶につめた温泉を江戸城に送ったもので,はじめは陸路によったが,後には海路を使った。今でも,市内有志が湯前神社に集まって大湯を檜桶に汲んで献湯し,そろいの衣裳を着て市内を練り歩く湯汲み道中として残っている。御汲湯によって有名になった熱海へは,諸大名をはじめ,江戸の町人までが湯治に来るようになった。大湯・野中の湯・清左衛門の湯・小沢の湯・風呂の湯・河原の湯・左次郎の湯などを熱海七湯と呼んだ。明治期には,尾崎紅葉の「金色夜叉」で全国に知れわたったものの,大正14年に国鉄熱海線が開通するまでは交通不便な土地であった。以後首都圏の保養地として繁栄するようになり,現在は国際観光温泉文化都市の指定を受けている。年中行事は,先にあげた10月10日の湯汲み道中をはじめとして,1月15日~2月15日の梅まつり,1月17日の尾崎紅葉祭,7月15~16日のこがし祭り,8月5日の海上花火大会など温泉地にふさわしい行事が見られる。網代温泉(網代)は,同市南東部の網代漁港を臨む海岸に位置し,昭和になってボーリングして湧出した源泉が31(休止13)ある。泉温30~77℃の食塩泉で,婦人病・胃腸病・リューマチ・神経痛に効くといわれ,約50軒の旅館がある。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
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