大森
【おおもり】

旧国名:駿河
(中世)南北朝期から見える地名。駿河(するが)国駿東(すんとう)郡のうち。康暦2年6月8日付鎌倉公方御教書に「円覚寺造営要脚関所事,為大森葛山関務半分替,所寄附也」と見え,当地には関所が設けられていた(円覚寺文書/相州古文書3)。「満済准后日記」応永23年10月18日条によれば,上杉禅秀の乱によって,鎌倉を追われた鎌倉公方足利持氏が駿河大森に逃れたことを記している。この間のことについては「旅宿問答」「湘山星移集」などに詳しい。その後,天正17年12月24日付徳川家七ケ条定書が当地に対して出されている(大庭文書/県史料1)。この定書は,家康の領国内における農民支配の統一基準ともいうべきものであった。なお,「大森葛山系図」に見える大森氏は,当地に住していたことにその由来をもつが,例えば「尊卑分脈」によると,はじめて大森を称したとする親家は一説に駿州大森に住していたことが注記され,さらには室町期の頼春の注記にも当地に住していたことが記されている。この大森氏の拠点と思われるものが大森館と呼ばれるもので,現在の裾野市大字深良の堀ノ内・上丹辺に比定されている(城郭大系9)。以上から当地は大字深良・葛山あたりに比定できようが,詳細については不明。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7110389 |





