柴本村
【しばもとむら】

旧国名:遠江
(近世)江戸期~明治8年の村名。遠江(とおとうみ)国豊田郡のうち。天竜川下流右岸に位置する。慶長6年浜松藩領,同14年幕府領,元和5年井伊谷藩領,寛永8年旗本金指・気賀・大谷・井伊谷の4近藤氏の相給,元禄5年旗本近藤氏領,同10年幕府領,天明4年旗本気賀近藤氏領を経て,弘化2年からは幕府・旗本4近藤氏の相給となる。村高は,「元禄高帳」537石余,「天保郷帳」「旧高旧領」ともに688石余。正保年間までに御馬ケ池村・蟹沢村を分村(風土記伝)。助郷は定助郷として本坂通気賀宿へ出役。嘉永年間には加助郷村として浜松宿へも出役している。また当村は秋葉街道筋にあたる。文政10年の秋葉山道筋接待茶屋建立勧化帳によれば,当村世話人の発起により山中村(現天竜市)内へ接待茶屋と灯籠を建立することになった。そのための勧化寄進方となることを願い出ている。寺院は曹洞宗慈眼寺・同宗高蓮寺・同宗竜眼寺がある。幕末に蟹沢村を合併したと思われる。明治元年駿府藩領(同2年静岡藩と改称),同4年静岡県を経て同年11月浜松県に所属。明治8年御馬ケ池村と合併して於呂村となる。現在浜北市大字於呂の通称地名として残る。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7111922 |