100辞書・辞典一括検索

JLogos

17

上今川村
【かみいまがわむら】


旧国名:三河

(近世)江戸期~明治11年の村名。三河国幡豆(はず)郡のうち。矢作古(やはぎふる)川右岸の氾濫原に位置する。地名の由来には,「昔時,矢作川本流の河口が,地変に由りて,一時,福地村大字川口辺に注ぎしより,今川と呼びしものならんか」という説があり(西尾町史),矢作川本流とは弓取川のことで,正保3年に廃川となる。今川は新しい川の意。西尾藩領。村高は,慶長9年検地高,「寛永高附」ともに344石余,「元禄郷帳」345石余,元文元年西尾領村々高反歩永引新田記344石余,新田14石余・新畑4石余,「天保郷帳」378石余(今井村を含む),「旧高旧領」358石余。安永5年の家数57・人数245。文久2年の家数50・人数287(御巡在道御案内手控)。安永5年の記録では「今川殿御廟所アリ 本ハ大木立有之候処 土井伊予守様御代延享二乙丑年相願候上 右木伐リ取リ跡ヘ石碑相立置候由」などとあり,この今川氏発祥の地は市史跡で,今川了俊の墓がある。神社は弁才天・諏訪大明神・若一王子宮があり,若一王子宮は俗に笹神といい,古来瘧に効験が著しいと称した。浄土宗養林庵は「昔天台宗ニテ今川家祈願所之由」,元亀3年再建改宗(西尾郷村雑書)。真宗東派厳西寺はもと天台宗といわれ,八幡宮6坊の1つ,西尾城主井伊氏以来歴代の城主の信仰が篤かった。明治11年今川村の一部となる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7117284