100辞書・辞典一括検索

JLogos

52

須賀垂村
【すがだりむら】


旧国名:尾張

(中世)南北朝期に見える村名。尾張国中島郡のうち。応安3年8月荒尾宗天(泰隆)が妙興寺に6町1反大の田地を売寄進した際の寄進状・売券・坪付注文に「中島郡須賀垂村」とある。9つの名より構成され,妙興寺には反別20文の油代納入のほかに負担のない田地であった。なお,地名としては応安2年公役納法下地等注文から見え,妙興寺は「須賀垂内」平野妙実遺領について正税反別75文ずつを地頭荒尾氏を通じて国衙領主醍醐寺三宝院へ納入することになっている。応永10年2月18日無説景演は「下切須賀垂」の田地5反を妙興寺天祥庵に売寄進した。また,永正12年10月11日宗成は「須賀垂散在内丹波垣内」下地5反を妙興寺へ内徳ともども寄進したが,この土地は小河新三郎から買得したもので,熱田社へ毎年年貢500文を納入することになっていた。また当地内には「島大小七ツ在之」とある(妙興寺文書/一宮市史資料編5)。永禄8年11月3日織田信長が坪内宗兵衛一族にあてた判物写に「すかたり」とある(坪内文書/稲沢市史資料編7)。「信雄分限帳」では「すがだり」は織田信長の家臣杉(杉山)九郎兵衛の知行地であった。近世の須ケ谷村に比定される。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7119644