大永寺
【だいえいじ】

旧国名:尾張
庄内川中流左岸に位置する。中央部に地名の由来となった名刹曹洞宗寿昌山大永寺がある。同寺は建久8年に山田重忠が開創した天台宗寺院であったが,永正18年兵火で焼失。大永元年に重忠後裔の小幡城主岡田重頼が再興・転宗し,年号を寺号としたという。字城之内に天正年間以前から城(館)があり,城主は川原平作かとされるが(徇行記),詳しいことはわからない。「徇行記」に「此村小幡村ノ属邑宮司村ト云,後寺号ヲ以テ大永寺村ト改ム,サレハ於今小幡ノ大永寺ト云ナリ」とあり,地内の字十人屋敷という所が旧称宮司村の本郷で,隣接する守山村の字宮地はその遺称かと記されている。
【大永寺郷(中世)】 戦国期に見える郷名。
【大永寺村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【大永寺(近代)】 明治22年~現在の大字名。
【大永寺町(近代)】 昭和53年~現在の名古屋市守山区の町名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7119882 |





