田町
【たまち】

旧国名:三河
(近世)江戸期~明治11年の町名。江戸期は吉田城下二十四町の1つで,表町のうち。吉田城の西,豊川の河岸に位置し,町並みは東西に続き,東は坂下町,西は船町に接する。吉田宿伝馬役は伝馬役町および平役町として伝馬と人足を課され,貞享元年には本門70軒,のち伝馬役門43軒で馬7匹,平役門25軒で出人足15人を負担した。同5年の家数70,町並み119間2尺,道幅3間2尺。正徳2年の吉田惣町差出帳によれば,家数74・人数510,庄屋は惣七郎。寛延3年の吉田弐拾四町指出帳では家数76・人数326。同年の吉田弐拾四町指出帳書抜では高78石余,出火時出役人足30,大工3・紺屋1・合羽師1,年寄は平六郎(豊橋市史)。寛延元年に7軒,同2年には24軒が火災により焼亡。宝暦9年の洪水により床上浸水1尺余の被害を受けた。文政2年の家数73,天保9年の家数74。神社に神明社がある。境内には山田宗徧作という庭園がある(豊橋の史跡と文化財)。幕末期には平田門下の国学者羽田野敬雄が神主を勤めた。明治9年の合併村願書によれば,戸数84・人数361(徳川林政史研究所蔵)。同11年湊町の一部となる。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7120261 |