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中山郷
【なかやまのごう】


旧国名:三河

(中世)室町期~戦国期に見える郷名。三河国額田(ぬかた)郡のうち。矢作(やはぎ)川の支流乙川上流の山間部一帯の地域で,東は比志賀郷,南は秦梨子郷に接する。応永24年の高薄八幡宮鰐口銘に「中山郷内高草村見光名」とある(額田町史)。長禄3年12月の高師長本領注文案に額田郡政所職・矢作東宿とならんで「下村中山郷雑役免進退分十家名」とあり,かつては足利家執事高氏の本領であった(蜷川家文書1/大日古)。ところが応永30年7月5日の足利義持寄進状に「額田郡内中山郷」を京都の時宗七条道場金光寺へ寄進するとあり,以後金光寺領中山郷は応永34年,永享4年,長禄4年に歴代将軍家から反銭などの諸役を免ぜられ守護不入地の扱いをうけている(長楽寺文書/岡崎市史6)。「康正二年造内裏段銭并国役引付」に「七条全(金)光寺領之内 三河国中山之郷」の反銭4貫750文が納入されたことが見えるが(群書28),その後は金光寺領の徴証を欠く。「三河物語」に松平初代親氏の時に「中山拾七名」を征服したという伝承が見え,松平氏が最も早く手に入れた所領であったと考えられる。天文20年6月21日の詳哲宛今川義元判物に「中山郷田口村庵室屋敷」などの相論裁許のことが見える(大樹寺文書/岡崎市史6)。現在の岡崎市田口町・大井野町辺りから東,乙川を越えて額田町大高味辺りまでを含む。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7121317