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氷上姉子神社
【ひかみあねこじんじゃ】


名古屋市緑区大高町にある神社。祭神は宮簀媛命。熱田神宮の摂社。熱田神宮の寛平縁起によれば,尾張連の祖建稲種命の氷上の館に東征途次の日本武尊が立ち寄り,妹の宮酢媛(宮簀媛)を知った。東征に従った建稲種命は帰路駿河で海没し,これを知った日本武尊は尾張篠城より媛のもとに移り住んだ。大和への帰途,神剣を媛のもとに置いた日本武尊は,伊吹山で病を得,伊勢能褒野で死んだ。神剣を守っていた媛は老い,神剣を祀って神社を建てた。これが熱田社である。媛の死後,仲哀天皇4年に館跡に祀ったのが当社で,持統天皇4年に東方の現在地(氷上山)に移った。「延喜式」神名帳の愛知郡条に「火上姉子神社」,「尾張国内神名牒」に従一位上「氷上姉子天神」とある(大日料4‐1)。寛治7年5月8日に「尾張国火上社臥木起立事」について朝廷で議定したことがある(百練抄)。「張州府志」は,平治2年正月に知多郡に赴こうとした源義朝が太刀一口を献じたとの社伝をのせる。正応5年4月19日の当社社務定書写には,「社務,元祖従来目長至長元,廿五代,為一家譜第之本職之処……即 火上天神以御祓占,賜令神定処仍如件」とし,長昌以下社務・権家・別当・一老家・専祭家・公文家・供師家の名と職掌が記されている(張州雑志1所収氷上社文書/鎌遺17878)。寛平縁起は当社の祝は尾張氏一族の海部氏というが,神主久米氏系図では日本武尊の従者来目長が神主となったが,9世に海部氏より養子をもらい海部直と称し,長昌の代に復姓したという(同前)。文明14年の氷上社本社末社神躰本地には,「本社宮簀媛命 本地聖観音」以下35社の本地が記され,また神宮寺・薬師堂・阿弥陀堂・講堂・大日堂などがあり,神仏習合の状況が示されている(同前)。近世は社内地4町2反9畝歩(寛文覚書)。神主は久米氏。貞享3年幕府より熱田社とともに修理を加えられたが,明治21年焼失,同26年再建された。明治5年郷社とされたが,同13年熱田社の摂社となった。




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「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7122566