姫街道
【ひめかいどう】

東海道御油宿(豊川市)から分かれ,本坂峠を越え,浜名湖北岸を通って浜松宿(静岡県浜松市)または見付宿(静岡県磐田市)で東海道と合する脇往還。公式には,本坂道・本坂通・本坂越と書かれた。明和元年道中奉行の支配下となり,その時の里程は御油宿~浜松宿間13里30町,御油宿~見付宿間15里14町。東海道では,御油から今切を経て浜松まで11里21町。街道名の由来は,荒井(新居・今切)関所での「入鉄砲に出女」の詮議を避けて女性が当街道を通った,今切という地名を縁起をかついで婦女子が嫌った,当街道は東海道より古く,ひね(古いの意)街道と呼ばれ,それが姫街道となったなどの諸説がある。江戸期,幕府は諸大名の本坂越えを原則として禁じたが,宝永4年大地震に伴う津波によって今切渡船が不能となり,新居・舞坂の宿が荒廃したため,通行は姫街道廻りとなった。そのため,御朱印荷駄や大名行列での助郷負担が急増し,東海道が復旧する10年間ほど,嵩山や気賀の宿が困窮した。現在,御油~豊川間は県道国府馬場線,豊川から静岡県にかけては国道362号となっている。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7122640 |