柳町
【やなぎちょう】

旧国名:尾張
(近世~近代)江戸期~昭和55年の町名。江戸期は名古屋城下町続きの1町。押切村のうち。大代官所支配。名古屋城の北西,江川右岸に位置する。「寛文覚書」によれば,押切村の枝郷に柳町が見える。享保13年一部事務が町奉行の管轄地となった城下町続きに「押切村……南北柳町籠申候」とある(吏事随筆)。元文3年名古屋図では,北柳町と南柳町に分けて記載されている。江川の西,田町筋から西へ延びる町並みで,横町3筋からなる(尾張志)。「徇行記」によれば,「柳町ハ此村(押切村)北ノ方ヘ付,志水氏下邸ノウラ通リニアリ,侍居宅小借家入交リノ所ナリ」という。地内に曹洞宗周泉寺がある。往古は無縁寺と号し,中島郡片原一色村にあったが,当地に移転し,改号したという(金鱗九十九之塵)。田町筋との間が柳町新地(のちの江川横町)として発達する。南は花ノ木町に接する(尾府全図)。明治11年押切村が柳町・押切町・平野町・南押切村・北押切村に分離し,当町は名古屋区に編入,同22年名古屋市,同41年からは同市西区に所属。町域は,江川横町の西,金城村大字北押切町字北柳の南,同字南柳の北,同字切藪の東にあたる(名古屋市史)。昭和10年北押切町の一部を編入。同55年花の木1~3丁目・浄心1~2丁目となる。

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