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吉田城
【よしだじょう】


中世~近世の城郭。今橋城・吉祥郭・峰野城・歯雑城とも呼ばれた。豊橋市今橋町に所在した平城。朝倉川・豊川の合流点の西側,豊川左岸下位段丘上に立地。古くからの東三河平野部の要地。永正2年今川氏が牧野成時(古白)らに築城させたという(牛窪記/豊橋市史,宮島伝記)。一時,田原戸田氏の戸田金七郎が在城したという。享禄2年岡崎城主松平清康に攻撃され,清康に属する牧野一族の伝兵衛成敏が守将となる。その後,田原戸田氏が領有するが,天文15年今川義元のものとなり,城代が置かれた。永禄8年三河を統一した徳川家康は,宿老酒井忠次を城主とした。天正18年家康の関東移封により,豊臣秀吉の部将池田輝政が入城,近世的城郭に改修した。その後,松平(竹谷)氏・松平(深溝)氏・水野忠清・水野忠善・小笠原氏・久世氏・牧野氏・松平(大河内)氏・松平(本庄)氏を経て,寛延2年松平(大河内)信復が入城し,同氏で明治期に至る。この間,石垣の普請,本丸の造営などが行われた。惣堀は東西1.2km・南北750mと推定され,豊川を背にした本丸(東西61m・南北73m)を中心に二の丸(1万5,153m(^2))・三の丸(5万142m(^2))を配した不完全な円郭式城郭といわれる。本丸の四隅には2~3層の櫓を設け,天守閣はない。北西隅の鉄櫓が復元されている。三の丸門の南に大手口がある。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7124560