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鈴鹿川
【すずかがわ】


八十瀬(やそせ)川・甲斐川・関川・高岡川ともいう。鈴鹿郡関町北西部,坂下の鈴鹿峠付近の山中に源を発し,亀山市・鈴鹿市・三重郡楠(くす)町を経て四日市市南端で伊勢湾に注ぐ。1級河川。流長37.97km・流域面積323km(^2)。河口近くの楠町南川付近で鈴鹿川派川を分派し楠町で海へ入る。名称は「勢陽五鈴遺響」や「伊勢国誌」によれば,大海人皇子が川を2頭の鹿の背で越え,駅路鈴をつけていたことによるという。歌枕として多くの古歌に詠まれている。その緩やかな蛇行流が「万葉集」に「鈴鹿川八十瀬渡りて誰ゆゑか夜越に越えむ妻もあらなくに」(作者未詳)と詠まれて以来,平安期の伊勢参宮都人たちに鈴鹿川といえば「八十瀬」と詠み合わされることとなった。「振り捨てて都は出でぬ鈴鹿川八十瀬の波に袖はぬれつつ」(隆信集),「鈴鹿川八十瀬の波にぬれぬれず伊勢まで誰か思ひおこせむ」(源氏物語)。歌謡集「催馬楽」にも「鈴鹿川」を載せる。「鈴鹿川八十瀬の滝をみな人の賞づるも著しく時にあへるかも時にあへるかも」。上流から中流は旧東海道・国道1号・国鉄関西本線がほぼ同じコースをとる。幹川である当川は関宿のところまで南東方向に流れ,東流する加太(かぶと)川と合流する。幹川は坂下宿を含む旧東海道・国道1号のコースと一致し,加太の山中に発し,幹川よりも遠くから流れる加太川は加太の地溝帯を東流するが,加太越えの旧大和道・関西線のコースと一致する。合流地点から下流の左岸から支流が加わる。亀山市南部を東流する幹川に,小野町で南流する小野川が合流する。鈴鹿市内に入ると北東へ流れを変え,小田町で東流する椋(むく)川,和泉町で能褒野(のぼの)町まで南流してきた御幣(おんべ)川を合して東流する大支流の安楽川と合流する。さらに左岸で小支流を集めながら左岸四日市市・右岸楠町となり,河口から約3km上流の内堀(うつぼり)町で東流する大支流の内部(うつべ)川を合わせ,東流して海に至る。鈴鹿山脈に発する各支流の上流は安楽川の石水(せきすい)渓,御幣川の小岐須渓谷,内部川の宮妻峡とそれぞれ渓谷美の景勝地で鈴鹿国定公園に属し,キャンプ・ハイキングの適地である。加太川との合流点から下流の左岸には丘陵・台地が広がり,河岸段丘もよく発達する。関・亀山・庄野・石薬師と続く旧東海道はほぼその上にある。安楽川以南には本流・支流に浸食された複雑な丘陵・台地で低地は水田,高地は畑地となる。内部川流域と御幣川以東は河川の浸食を受けない広大な台地で,黒ボクの厚い腐植層を載せる。能褒野・広瀬野・鞠ケ野の地名があり,茶畑が特に多く県下最大の産地を形成する。植木・苗木の生産も多く,広い畑作地域でもある。台地に水を引く暗渠灌漑施設のマンボも多い。鈴鹿市域から下流の右岸は本田技研や旭ダウなどの内陸工場と新しい町を載せる低い台地を除けば,伊勢湾まで続く広大な沖積低地となっている。この水田地域には甲斐町を頂点に3列の自然堤防がある。現河道に沿うもの,河田・十宮(とみや)・林崎(はやさき)・箕田(みだ)の列,神戸(かんべ)・肥田・柳・土師の列がそれで河道の変遷が推定できる。左岸も高岡町からは沖積低地となり,内部川合流地点からは四日市の第1石油化学コンビナートが続き,河口に石原産業などの埋立地がある。右岸は本川・派川による輪中の形の楠町があり,河口部に公害の最激甚地の四日市市磯津町がある。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7127483