長松御厨
【ながまつのみくりや】

旧国名:伊勢
(中世)鎌倉期~室町期に見える御厨名。伊勢国朝明(あさけ)・三重両郡のうち。朝明郡長松御厨は内宮領。「神鳳鈔」に80町上分米33石,「神領納所記」は33石,中古20石,今15石,享徳元年「庁宣注文」も33石,20石,近年13石あるいは14石とのせる。三重郡長松御厨は外宮領,「神鳳鈔」では4石,しかし,「外宮神領目録」「神領給人引付」では朝明郡としており,前者は5石「但近年四石済」,後者に給人として「御倉 今ハ貞季」と注がある。このほか両書とも三重郡に「永松神田」の記載がある。寛元2年祭主大中臣隆通は,神祇権少副大中臣季宣に,記録所牒に任せて当厨内田畠在家等の文書正文の進上を命じている(河辺家譜12/鎌遺6341)。相論の相手・内容は不明であるが,同4年にも院評定においてとりあげられており,相論が継続していることがわかる(葉黄記11月3日条)。康永元年の長松御厨雑掌宗重申状によれば,当御厨は内宮一禰宜の「分附管領」の地で,近年動乱により入部が不可能であったが,路次静謐となり上分米催使を派遣したところ「御厨家一同」は惣官=祭主の下知状なくば沙汰致し難いと拒否,このため下知状の下付を申請している(神宮文庫蔵貞治3年内宮遷宮記裏文書)。応永29年管領畠山満長は守護土岐持頼に対し「治暦所見分明之上」は他家知行を停止し,当御厨を長松為国に沙汰付することを命じている(地蔵院文書/京都大学所蔵)。文安元年為国は当知行地本御厨内5名(みよう)につき,地蔵院が「持長(茂永)」内と申しかすめ押領したと称し「治暦所見」,応永29年の御教書を支証に内宮に出訴している(地蔵院文書)。他方,地蔵院は茂永・小泉御厨内新開分を三条殿(正親町三条実雅か)被官長松為国が押領,この地は去る永享12年奉行飯尾為種に就き提訴,落居まで年貢を置くべしとの奉書が下されているにもかかわらず,為国はこれを無視,この上は三条殿に仰せ御成敗あるべしと幕府に提訴している(地蔵院文書)。相論の推移は不明であるが,為国の主張を信じれば,当御厨の成立は11世紀後半にさかのぼることができる。また長松・茂永・小泉御厨が互いに隣接していることがわかる。寛正3年内宮禰宜荒木田氏経の長松御厨口入所雑掌正弘は内宮に解状を出し,本上分米33石,口入米50石に関し,長松道祖若丸(為国孫)が数か年上分米は減員,口入米は対捍に及んだため,彼を改替,由緒に任せ,切山帯刀左衛門尉頼式に知行を仰せつけられたいと提訴,切山頼式も同時に,永享7年,長松為国が三条殿被官の威をかり押領したと知行回復の訴えをしており(氏経引付),これをうけ内宮は幕府に頼式知行安堵の解状を捧げている(氏経引付,氏経神事記5月11日条)。なお,次にふれる相論の際,氏経が主張するところでは,この口入米50石は父氏貫が長松御厨不知行の時,幕府御教書を賜わって,知行回復に成功したため,内宮は彼を口入所として契約,この権利を氏経が相続したものという(氏経引付)。文明14~15年にかけ,御厨内野美名等3か村をめぐって,内宮・山田広徳寺・長松為経間に複雑な相論が発生している。事の発端は,他所からの内宮上分米を輸送中,山田広徳寺が高羽江にて7石,「質納」(差押)したことにあった。広徳寺の主張は,外宮領野美名三か里(これが三重郡長松御厨にあたる)は祖父の時,祭主より寄進をうけたもので,段別5升の得分であるが,近年長松方が押領,これに抗議したところ,長松為経は,その分を毎年内宮に上納しているとの返答であったため「質納」したのであるという。氏経は山田三方,高羽江雄徳寺,下村氏,羽津元秀に斡旋を依頼,抑留米の返却を求める一方,長松氏に内宮領長松御厨上分・口入米との混同を抗議,これに対し,長松氏や彼を支持する羽津元秀は野美名上分米は毎年3石外宮に上納していること,同名は代々「御判地」で長松氏当知行地であり,広徳寺の主張は「無謂」主張であり,支証として文明元年の赤堀兵庫助の非法を停止した幕府奉行人奉書,同5・14年の外宮上分米請取状を氏経に送っている。これより争点は広徳寺・長松氏間の所領相論に移行,広徳寺は文明15年以前の赤堀・浜田親綱の年貢送状を提出するとともに,内宮に対し,以前の訴訟(時期不明)の際提出した支証類の返還を要求,氏経は預かったことを否定するなど複雑な様相を呈することとなった。15年に至り相論は「起請」にて決することになり,外宮,山田三方を仲介として宇治五日市場辺にて広徳寺,為経子為延間で湯起請が行われることとなった。残念ながらこの起請の結果は不明である。この相論は内・外宮,山田三方,寺院,国人など諸勢力が登場する相論として興味深いものがある(以上,氏経引付)。比定地は未詳だが応永29年の幕府御教書に,四至として東は海,西は乗(垂か)坂寺,南は三重与□(堺か),北は2条9里・鳥□とある。ちなみに,四日市市羽津に小字長松がある。また「玉葉」寿永3年1月14日条に見える虵・真虫が打ちあげられたという「永松」は当地のことと思われる。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7128285 |





