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丹生丹坑跡
【にうたんこうあと】


多気郡勢和村の丹生山地に残る奈良期~室町期の水銀採掘跡。勢和村南部の標高60~80mの山地にある宮ノ谷から田中谷にかけて多数の廃坑が残っているが,そのほとんどの坑口が土中に没し確認できない。丹生神社南東約1km,県道茅原生首線の北斜面には坑口2~2.5m,坑道約30mの洞口と呼ばれる最大の廃坑が残っている。丹生では和銅年間に水銀が発見され,古代わが国唯一の産地として知られ,重要な租税品であった。東大寺大仏の鋳造には200両貢上されたのをはじめ(東大寺造立供養記),仏像鋳造・鏡の製作のために奈良期~平安期には漸次産額を増した。「丹生水銀の研究」によると平安期には水銀は伊勢の特産となり,丹生は発掘・取引きに集まった鉱夫・商人で相当な鉱山町となり,弘仁年間には人家200戸を超え,建久9年には水銀座が存在したという。水銀は櫛田川の水運を利用して下流の射和(松阪市)に運ばれ,金属鍍金用・顔料・軽粉・薬品に加工され,また貿易品として中国・朝鮮に輸出されていた。室町末期には鉱脈が衰え,産出量も減少して廃坑となった。江戸初期の元和年間には,丹生の医師北川丹雪が水銀採掘を松坂奉行所へ願い出ている。寛永年間には紀州藩が採掘を始めたが長く続かなかった。最近では昭和12年頃から同19年にかけて,丹生の北村覚蔵が調査試掘している。また,昭和43~48年にかけて大和水銀会社が本格的採掘をした。坑道は750m以上,深さ60m以上に達し,採掘鉱石量は130t以上にのぼったが,公害の発生を恐れて中止した。丹生神社には当時使用していた桶・釜・壺が保存され,坑口跡は文化財として保存する計画がある。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7128401