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治田鉱山
【はったこうざん】


員弁(いなべ)郡北勢町新町の治田峠東麓から同町垣内(かいと)の藤原岳南麓にかけて点在していた鉱山の総称。鉱山の発見年代は明らかでないが,天正年間にはすでに銀・銅を採掘しており,元禄年間に最盛期を迎え,明治期に廃止された。新町は鉱山集落。慶長6年幕府領となり,摂津国多田銀山から鉱夫が多数移住し採掘した。元和元年徳川秀忠の長女千姫が桑名藩主本多忠政の子忠刻に嫁すると,鉱山は姫の化粧料として桑名藩に与えられた。その後忠政の国替えによって姫路領となったが,寛永4年には忠刻病死により再び幕府領となり,鉱山奉行が派遣された。その後,宝永年間には村請となり,享保5年以後は民営となった。次いで同11年には加納遠江守(上総一宮)の所領となり,江戸や京の山師が盛んに採掘したが,坑内出水や銅価下落などにより次第に衰微した。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
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