広小路通り
【ひろこうじどおり】

近鉄伊賀線広小路駅を中心に国道25号(伊賀街道)に沿った古い商店筋の通称。明治後期,伊賀上野城を築城した藤堂高虎が江戸城助役普請だったことから,東京上野広小路の名をとったといわれる。通りは鉄道開通までは赤坂・車坂を大八車で上ってくる伊賀北東部農山村の顧客でにぎわい,開通後は伊賀南部からの顧客も加わって繁栄した。一般に当通りは,西は天神裏から東は伊予町と赤坂町の町筋が通りに直交する屈折部までの約140mで,新町・寺町・農人町の商店で形成。西は片原町から天神表の通称本町通り商店街に,東は農人町の芭蕉商店街に連なる。第2次大戦中,一時衰退したが,昭和26年8月,32名の店主と広小路駅の協賛で広小路商店連盟を結成。間もなく玄蕃町・寺町筋が交差する辻から西通りは脱退。同33年10月上野公設市場を開設。広小路商店通りは駅を中心に東西それぞれ十字路までの長さ70mの通りとなった。現在,農人町と寺町の15の商店が加盟,中には明治17年創業,5代を継ぐ老舗もある。新しく自動車交通時代をむかえ城下町当時の狭い道路と,東方向への一方通行,さらに駐車場のないこの通りは交通の変遷に伴う時代の推移を強く反映している。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7128999 |





