袋町
【ふくろまち】

旧国名:伊勢
(近世~近代)江戸期~昭和43年の町名。明治前期は四日市を冠称することもある。もとは中南納屋町と称したが,天保14年の絵図には袋町と記され,明治3年に公式に袋町と改称した。明治19年から昭和27年までは東袋町と西袋町とに分離した。江戸期は四日市町の1町。四日市町の東部に位置し,北は桶之町(南納屋町),南は大南納屋町と接する。旧名の中南納屋町の名の由来は,四日市港の廻船問屋などの蔵や納屋がたち並ぶ南納屋町の中央に立地することにちなむ。当地は海岸の州浜を干拓して造成された地で,延宝年間頃に次々と開拓された。蔵町が納屋町と称していた元禄年間には当町はまだ1町をなすに至らなかったが,正徳年間頃からようやく町並みを形成し,中南納屋町と称するようになった。文化7年の四日市町の改革では各町を7組に分けたが,当町は蔵町・北納屋町・中納屋町・南納屋町・大南納屋町とともに納屋町組に属す。明治22年四日市町,同30年四日市市に所属。明治22年の戸数157・人口837。町の自治組織は納屋一致会に所属する。同27年度袋町東組分町税戸別割は26.55円。戸数・人口は,同43年245・1,466,大正2年東袋町111・686,西袋町138・679,同7年東袋町121・582,西袋町127・624。世帯数・人口は,同12年東袋町121・582,西袋町121・610,昭和4年東袋町69・325,西袋町101・475。商事会社が多く進出し,大正期に開けた納屋運河により一層商社の動きが活発となる。毎年9月下旬の四日市祭には,東袋町・西袋町が共同で「をほこ鯨つき」として鯨舟山車を練り出す。昭和11年までの四日市港の港湾整備で企業進出が相次ぎ,同時に運河の整備,道路の整備が進んだ。同34年の世帯数106・人口471。同38年国道1号のバイパスとして海岸寄りに名四国道が開通,袋町~名古屋市港区寛政町までの区間である。同50年から国道23号となる。昭和30年代中ごろから大気汚染が著しく人口が急減した。昭和40年の世帯数43・人口180。当町は土地公称四日市の一部で公称町名であったが,昭和38年住居表示実施により一部が蔵町・中納屋町となり,残余も同43年相生町・南納屋町となる。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7129063 |