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四日市陣屋
【よっかいちじんや】


正式には四日市代官所という。江戸期幕府直轄領を支配する代官陣屋。四日市市北町,鈴鹿山脈東の平地部伊勢湾に面した海陸の要路に所在。慶長5年徳川家康はかつて本能寺の変に助力を得た水谷九左衛門光勝を四日市代官に任じた。同8年光勝は三滝川と大井ノ川に挾まれた地に代官所として陣屋を築いた。陣屋の規模は東西44間・南北46間・総坪数1,826坪,堀幅は5間あるいは13間で,堀の内側には土塁を築いた。表門を入ると左側に2棟,右側に3棟の役所があり室数は32室であった。代官はたびたび交代し,享保7年には近江国信楽代官多羅尾四郎五郎右衛門が兼務,同9年幕府領から大和郡山城主松平甲斐守吉里の所領となり,郡山藩の代官が置かれた。享和元年再び幕府領となり,信楽代官多羅尾氏が再度兼務,以後多羅尾氏が世襲して明治に至った。明治2年陣屋は度会(わたらい)県支庁に,同5年には三重県庁となった。同7年県庁は津に移り三重県支庁となった。同9年の伊勢農民暴動の時,建物は焼失した。その後堀は埋められ,現在中部西小学校の地となり遺構は残っていない。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
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