朝妻
【あさづま】

旧国名:近江
浅妻・朝嬬・旦妻とも書く(万葉集)。大和(奈良県)朝妻の朝妻造(あさづまのみやつこ)の一族が移住したことによるか(坂田郡志2)。天野川の河口南岸に位置し,古代から港として知られる。東山・北陸両道の分岐点箕浦(みのうら)にも近く,坂田郡はもとより東浅井郡・犬上郡を含む一帯随一の要港であった(山家集・藤川記)。永祚元年2月の「尾張国郡司百姓等解」第23条によれば,国司藤原元命は,国例を無視して国雑色人と部内の人民に巨多の夫駄を課し,「京都・朝妻両所」に雑物を運搬させたという(平遺339)。朝妻から荷物を船積して大津に陸揚げし京へ運んだか,あるいは朝妻で交易するかしたのであろう。また,天暦4年の「東大寺封戸荘園并寺用帳」のなかに,美濃国の封土百戸が出す庸米32石7斗は「朝妻定」で120石との朱注が入っている(平遺257)。なお鎌倉期の承元5年10月,朝妻寺ほかをもって延暦寺根本中堂修造にあて,文永8年朝妻・箕浦等を山門西塔法花・常行両堂の営作料所としたことが知られる(天台座主記)。
【朝妻郷(古代)】 平安期に見える郷名。
【朝妻荘(中世)】 鎌倉期から見える荘園名。
【朝妻村(近世)】 江戸期~明治7年の村名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7130117 |





